教科書から坂本龍馬が消える。

最近の頭の良い人たちは極端な思想をお持ちなのか、もしくは目に見えたものしか判断材料に出来ないバカなのかよくわかりません。

 

サッカーで言えば点を取れない選手は評価に値しないと言っているように聞こえますし、野球で言えばホームランを打つ選手しか要らないと言ってるように思えます。

 

巨人を見てください。

 

どうなったか、今どうなっているかを。

 

日本の教育では、植物で言えば花の美しさだけじゃなく土の栄養について目を向けるようにと、地味な活動にこそ意味があると言ってませんでしたか?

 

勝ち負け以前にスポーツマンシップが大事とか、参加することに意味があるとかわけわからないことをさも大切と言ってませんでしたか?

 

私たち世代はそんな教育を、時にはゲンコツを食らいながらも受けてきました。

 

でもそれはある意味正しいことだと思うんです。

 

坂本龍馬が事前協議を重ねて実現し得た無血開城は結果として、勝海舟西郷隆盛の得点ですが、それを繋いできた坂本龍馬のアシストがあったからこそと思うのです。

 

またその坂本龍馬の思想を培った吉田松陰の教育があったからこそだと思うのです。

 

日本酒を飲みながらのブログなので言いたいことしか言えてませんが、結論はこうです。

 

サッカーが世間的に認知されてない年代。

 

私たち世代はそれなんですが、昭和56〜60年代、デフェンシブハーフというポジションは認知されてませんでした。

 

今でいうボランチというポジションです。

 

これは日本だけの話で、海外では昔から重要なポジションでした。

 

今でこそ非常に重要なポジションということがわかりますが、当時は点も取らないし守備でも何をしているかわからないと目立たないポジションでした。

 

昔は裏方のポジションでしたが、最近は積極的にゲームを作れるポジションと認知されています。

 

メキシコオリンピックで釜本選手が得点王としてサッカーが一時的に脚光を浴びましたが、その下でボールを捌いていた選手達がいたんです。

 

人ってそういうことじゃないんですか?

 

結果出した人だけがはすごい人なんですか?

 

おかしいだろう頭の良い人たち。

 

貴方達だってアシストしてくれてる人はいないんですか?

 

その人達は意味のない人なんですか?

心はどこにあるんですか、っていうか心はあるんですか頭の良い人たち。