石田ゆり子

これだけかわいい人っているだろうか。

僕はドクターコトーの「ゴドウクン?」っていうセリフでやられて以来、もう何十年もやられっぱなしです。

最近キリンのコーヒーのCM出てるけど、あの笑顔のステッカーを貼ってる自販機屋の車を見ると剥がしてしまいたくなる衝動にかられます。

 

関テレのクライシスのドラマで、最後の西島君とのシーンで、「貴方と暮らしたかったな」っていうセリフでドクターコトー並みの衝撃を喰らいました。

 

ほんと何もかも捨ててもいい女ってこの人のことを言うんだと思います。

日馬富士暴行事件

ネットニュースを見ると、暴行した結果として日馬富士が悪いという論調が多いですね。

スマホいじって話し聞いてないクソガキに、いくら激怒しても殴っちゃマズいだろうっていう一般の方々の意見も多いです。

一般の方々、当事者じゃないですからね。

昨日の坂本龍馬の話じゃないですけど、ここも結果論でしか見てない危うさがあるんじゃないかと思ってしまいます。

自分は朝青龍があの事件でいなくならなければ、朝青龍の後のどんな力士も塗り替える事が出来ないくらいの記録を打ち立ててたと思うんです。

ひょっとしたらまだ現役でやってたかもしれません。

白鵬の記録などはもちろんなかったと思います。

朝青龍の件は、どこかから何らかの力の作用があってああなったんだろうと思います。

今回は貴乃花の小狡さが妙に鼻の奥に絡まって気持ち悪さしかないです。

確かに相撲協会、たくさん胡散臭さがあるでしょう。

でも政治の世界に比べたらずっとマシだと思いませんか?

日本の国技である相撲というスポーツ。

親方連中だってそんなに内にこもってグズグズした人いないじゃないですか…

謝りに行っても無視されて、横綱がわざわざ来ているのに。

貴乃花はこっそり被害届け出して、小賢しいですよ。

貴ノ岩白鵬日馬富士に言った事が本当に事実であるのならば、貴乃花こそ弟子の貴ノ岩に対してどういう教育をしていたのかと思います。

まあ今の日本という国は末端からそういう状況ですけどね。

ほんとろくな国じゃなくなってきてますよ。

 

 

 

 

 

 

 

教科書から坂本龍馬が消える。

最近の頭の良い人たちは極端な思想をお持ちなのか、もしくは目に見えたものしか判断材料に出来ないバカなのかよくわかりません。

 

サッカーで言えば点を取れない選手は評価に値しないと言っているように聞こえますし、野球で言えばホームランを打つ選手しか要らないと言ってるように思えます。

 

巨人を見てください。

 

どうなったか、今どうなっているかを。

 

日本の教育では、植物で言えば花の美しさだけじゃなく土の栄養について目を向けるようにと、地味な活動にこそ意味があると言ってませんでしたか?

 

勝ち負け以前にスポーツマンシップが大事とか、参加することに意味があるとかわけわからないことをさも大切と言ってませんでしたか?

 

私たち世代はそんな教育を、時にはゲンコツを食らいながらも受けてきました。

 

でもそれはある意味正しいことだと思うんです。

 

坂本龍馬が事前協議を重ねて実現し得た無血開城は結果として、勝海舟西郷隆盛の得点ですが、それを繋いできた坂本龍馬のアシストがあったからこそと思うのです。

 

またその坂本龍馬の思想を培った吉田松陰の教育があったからこそだと思うのです。

 

日本酒を飲みながらのブログなので言いたいことしか言えてませんが、結論はこうです。

 

サッカーが世間的に認知されてない年代。

 

私たち世代はそれなんですが、昭和56〜60年代、デフェンシブハーフというポジションは認知されてませんでした。

 

今でいうボランチというポジションです。

 

これは日本だけの話で、海外では昔から重要なポジションでした。

 

今でこそ非常に重要なポジションということがわかりますが、当時は点も取らないし守備でも何をしているかわからないと目立たないポジションでした。

 

昔は裏方のポジションでしたが、最近は積極的にゲームを作れるポジションと認知されています。

 

メキシコオリンピックで釜本選手が得点王としてサッカーが一時的に脚光を浴びましたが、その下でボールを捌いていた選手達がいたんです。

 

人ってそういうことじゃないんですか?

 

結果出した人だけがはすごい人なんですか?

 

おかしいだろう頭の良い人たち。

 

貴方達だってアシストしてくれてる人はいないんですか?

 

その人達は意味のない人なんですか?

心はどこにあるんですか、っていうか心はあるんですか頭の良い人たち。

 

 

ほぼ一年ぶりの更新

あれから一年。

 

仕事は可もなく不可もなく淡々と毎日をこなしているという感じです。

 

車は4月からハイゼットに変わり、サンバーより全然手がかからなくなり毎週いじることもなくなりました。

 

さて、またブログを更新しようと思い立ったのは、勝手にエッセイしてみようかとふと思ったからなんです。

 

たぶん誰も読むこともないだろうから、勝手にエッセイストぶって講釈を垂れてみようかと思いました。

 

世間的には何の肩書きも価値もない人間ですが、大きな声の人の意見が通るこの世の中、たくさんの仲間がいる人のわがままが通るこの世の中に文句を言っていきたいと思います。

 

ただ私自身が感じたことを何の下調べもせずに述べるだけです。

車の本質

前回の続きになりますが、車って乗り手がイジれる範囲を残しているほど、かわいいものだと思うんです。
今の車はなんでも電子制御が働いていて、誰でもそれなりにスピードだけなら速く走ることができます。
しかし、車はそのスピードを乗り手がコントロール出来るかが安全の目安だと思うんです。
スピードをコントロールするなら単純にブレーキですが、ブレーキだけで車が止まるなら事故は起きません。
車にはオートマでも必ずギヤが存在するわけで、高いギヤのままブレーキを踏んだところで止まるはずがないのです。
よくミニバン乗りにあおられますが、ほんと素養が足りないと感じます。
もともと重心が高い上にFFが多く、とても危険な感じがします。
私たち軽バンは高速ではなめられますので。
私はスバル内製時代のサンバーを所有してますが、非常に手がかかる車です。
オイル漏れはするし、アイドリングの不調や、ヘッドライトの球切れや、挙げればキリがないです。
しかし、その手がかかることが実は車のコンディションを理解していく重要なことだと痛感しています。
こいつのコンディションを如何に上機嫌に持っていくがが、仕事をしていく上で欠かせないのです。
ほんのすこし手をかけることでサンバーはとてもいい仕事をしてくれます。
毎週のことのように何かしら取り替えてますが、サンバーは底を見せないんです。
どんどん良くなっていくんです。
フレーム吸気を変更したり、オイルキャッチタンクをつけたり、いろいろやってますが、そのレスポンスの向上には底がないのです。
ほんとに楽しい車です。

今年もあと少し。

40歳を過ぎると一年なんてあっと言う間に過ぎてしまいます。
50歳を過ぎると加速度を増すような感じがするのは私だけでしょうか。
最近、高齢者の交通事故の報道が日に日に増えてきています。
ブレーキとアクセルを踏み間違えたのがほとんどの理由です。
私は仕事の車を2台持ってますが、どちらもマニュアルです。
配達の仕事ではオートマが断然楽なのは知ってましたが、敢えてマニュアルにこだわっています。
マニュアルは車を操る最善のシステムです。
坂を登るにしても適切なギヤを、自分と車で相談しながら決めます。
対してオートマはどんな坂でも自分主体でアクセルを踏み続けて登ります。
エンジンがいくら悲鳴を上げようとも御構いなしです。
そんな扱いをしていて、いざという時車が言うことをきいてくれるはずがないのです。
車は自分がコントロール出来ないのなら乗ってはいけないのです。

下請ではあるけど…

昨日、今お世話になっている社長に、仕事が暇なら週3日とかにしてもらってもいいと話をした。
私としては善意というか、もっと気楽に使ってもらっていいという意味で言ったのだが、先方にはそれはそちらが言う話ではないと言われた。
私はそこにすごく引っかかって、お互い個人事業主じゃないの?って思ったわけです。
確かにそこから仕事はもらっているわけだが、仕事をしてもしなくも暇な時に私に1日の常用代を支払うことは、果たしてどうなのかと思ったわけです。
確かに余計なお世話に映ったかもしれませんが、こちらからすると日々の無駄な経費を私に支払って、お金がないから明日から来なくていいと言われるような状況にはしたくなかったのです。
私がすべて正しいとは思ってはいませんが、お互い個人事業主として協力したいと思ってたのでとてもさびしい気持ちでいっぱいでした。